左の車は自分がスバリストになった原点の車です。父親がスバル360を3台乗り継いだあと母親のお買い物車として我が家にあったR-2です。我が家のサブロク記憶はほとんどありませんが、このR-2の強烈に印象に残っています。写真は自分が8歳の頃の写真です。
|
|
|
|
|
スバルに乗り始めて3年が経過したある時、某オークションに想いでそっくりなR-2が出品されていました。この車を見た時はすごい衝撃でした。倉庫に10年近く保管されていた車で不動車でしたがR-2にありがちな腐りがひとつもな苦、しかも価格は数万円!衝動買いです。ふたを開けてみれば前後をはさまれた事故車でしたが。なんちゃって板金、缶スプレーペイント仕上げです。エンジンはNスペシャル。外観はこつこつ集めたSS仕様。内装も友人にもらったSSシートなんですが、メーターはDX。高速ではしっかり100Km/hでます。 |
S39〜40年頃のカスタムです。現在のスバルの師匠ともいえるスバルトさんから譲ってもらいました。元てんとう虫の会の会員さんがご高齢で降りられた車をスバルトさんがかなり手を入れて綺麗に仕上げた車です。こんなに早く手放して自分のところにやってくるとは思っていませんでしたが、縁あって手に入れることになった車です。リアゲートの鍵が壊れていたのをたまたま、オークションで見つけた新品ノブに偶然いただいた同じナンバーのシリンダーを入れ替えてやっと鍵がかかるようになりました。前オーナーがほぼ完璧に仕上げてくれたあったのでほとんど何もすることなく快調です。副変速付きの6速ミッションに載せ替えてあるので高速では長い直線で法定速度の100km/h出ました。昨年(H19)は伊香保、太田、館林、お台場などほぼノートラブル、伊香保のイベントでは上毛新聞社賞をいただきました(笑)。
黒虫が最初に乗ったスバルです。S43年式の最終型DX、オールドタイマーの個人売買で22万円で購入。スバルに関するメンテなどの知は全くない状態で乗り始めました。自分と同じ43年式、ミッションも多い方が良いだろうという考えで最終型4速を選びました。駐車場で右後方のフェンダーをぶつけられたのをきっかけに自己板金の後、10万円でオールペン。オリジナルの白→赤→緑→濃いめのシルバーメタ→ライトシルバーメタと5層の厚塗りが出来上がりました。その後、カーサービスで屋根内張交換、リアアクリルをガラスへ交換。写真うつりは非常に良く(笑)、遠くからの見た目はまあまあの車の出来上がりました。
S43年前期のK153低床トラックです。スバルの整備で有名な三陽自工にあった車です。この車、消防団上がりの車のようで、実走行2000km、車庫保管であったと思われ腐りは皆無です。ただし塗装はいまいち・・・。本当は4速車が欲しかったのですがボディ極上なので購入を決意しました。現状渡しで購入のためキャブオールで引き取りです。ブレーキを整備して速攻で車検を取るも、クラッチ接続時にひどいジャダーが出るため、2000kmのエンジンを降ろしてOH。ついでに友人にもらったサンバー用4速ミッションに換装しました。クランクOH、ピストンリング交換、カーボン除去、ヘッドを後期型の物に交換とファインチューン??すこぶる調子が良いです。群馬、茨城、埼玉、富士スピードウェイ(タイムマシーンフェスティバル)、神戸(フェスタ360)とあちらこちらに出かけましたが、今のところ完全ノートラブルです。東名高速では気持ち下りのところで法定速度の100km/h出ました。最近、またクラッチのジャダーがひどくなったので出番少なめですが一番信頼度が高いスバルです。
メンテ知識のないまま乗り続けて2年、エンジンが焼きつきカーサービスで泣く泣くエンジンOH。同時期、たまたまネットで知り合った元:虫の会の事務局MK氏に大変お世話になり(今でも感謝してますよ!)安心して走行会に参加できるレベルまで車が完成しました。格安ボロは気がついてみればかなり高額な車に・・・。こんな事なら、もっと程度の良い車をそれなりの値段で購入すれば良かったか?なんて思いましたが、おかげで良い勉強になり、さらなるスバルの深みにはまれたことは非常に良かったと思ってます。上の写真は以前「ラピタ」のスバル360の特集の時の取材時にプロのまねたアングルで写した写真です。ハヤシのアルミが結構気に入ってます。
以前にこのホームページ経由で横浜市歴史博物館のかたよりメールがあり、「スバルの展示に協力して欲しい」と要請がありました。約2ヶ月間と長期だったので最初は躊躇しましたが、担当の方の熱意に負けて貸し出すことに。同時に「集合!スバル360」という企画を行い夏の楽しい1日を過ごすことが出来ました。上の写真はその時の展示の様子。右は横浜中に貼られたポスター、チラシ。黒虫1号車はフルレストアをしようと部品を外していったらフロアがほぼ全集に渡り腐っていつのが発覚。カーサービスで修理を検討しましたが高額な見積もりにて再生断念。部品取りとして天寿を全うされました。